【誰かと比較することをやめたい方へ(2)】他の人が見えなくなるくらい、自分の人生に夢中になる

春休みの2週間で気が付いたこと

みなさん、いかがお過ごしですか? 私は大学の春休みが始まってから2週間が経とうとしていますが、就職活動やアルバイトでなにかとやることの尽きない日々を送っています。特に、最近は「同じ同年代の人でも、もうすでに活躍している人がたくさんいるのに、私はなにもできていない」という思いに駆られることも多く、なにをやっても「他にもっと大事な、有意義なことがあるのでは」と目の前のことに集中できないことが多くありました。春休みにも関わらず、じりじりとした焦りや、漠然とした不安でいっぱいの日々が続いていましたが、そのなかでふと気づいたことを、今回はシェアしたいなと思います。

それは、タイトルにもあるように「他の人が見えないくらい、自分のことに夢中になる」ということです。
テレビや新聞で「すごい人」を目にしたり、周りの人で成功した人の話を聞いたりして、自分と比べて落ち込む。彼らはこの世界にとって "Somebody"(意味のあるなにか)になれているけど、私は "Nobody" (名前もない、意味のない存在)のような気がする。本当は、時々耳にするように「存在するだけで価値がある」と思いたいのに、マスメディアで特定の誰かが取り上げられているのを見ると、「存在には価値の違いがある」と言われているような気がしてしまう……。

自分のことを「大したことのない存在」だと思ってしまうきっかけは、私たちの周囲にいくらでもあふれています。実際には私たち一人一人が大切な存在であるはずですが、そう信じることを難しくさせる情報が押し寄せてくる日もあると思います。

他の人が気になるのは、それだけのエネルギーが余っているから?

私もそうした状況に飲み込まれてしまうような感覚でいたのですが、ふと「これって、私はまだ他の人のことを気にすることができるくらいには、エネルギーが残っているということ?」ということに気が付きました。「わき目もふらず」という言葉がありますが、私が自分自身の人生に夢中になっていれば、他の人のことを気にする余裕などなくなるのでは? と思ったのです。

このことは、「他人と比較して落ち込むときは『誰とも戦わない』」という内容をシェアした以前の記事(「【誰かと比較することをやめたい方へ】ある日頭に浮かんだ「誰にも勝たなくていいよ」という言葉」)ともつながると思います。他の誰かが気になるとき、そこにはまだそれだけのエネルギーが自分に投資されることなく余っているということです。
この記事で書いた「誰とも戦わない」ということは、つまり「誰かと戦うことが頭に浮かばなくなるくらい、自分のことに集中する」ということでもあります。

誰かを気にしながら、誰かと比較しながら自分のことをするよりも、自分のことだけに集中する。これは難しいことではなく、むしろ集中の対象を自分だけにしぼるので、楽になると思います。私も、「いいなあ、あの人は……」と他の人に意識が向いていることに気が付いたので、このブログも含めて、自分がやりたいことを再開したり、もっと力を注ごうかなと思っています😉 このブログを読んでくださっている方の中に、同じように誰かとの比較で苦しい思いをされている方がいたら、この記事がそこから抜け出すヒントになればいいな、と思います。