脱線した道こそ本線

Goran HorvatによるPixabayからの画像


みなさんは、今の自分が進んでいる道は自分が思い描いていた通りの道だと感じているでしょうか? 実際は、「こんなはずではなかったのだけどな……」という不本意な気持ちをお持ちの方も、少なからずいらっしゃるのではないかと思います。

 

実は私もそのうちの一人で、現在のお仕事は、周囲の人に恵まれているとは思いますが、仕事内容は自分の育った環境や好きなこと、大学で学んだことを活かせる職種ではありません。

 

ただ、最近思うようになったのは、「脱線した道こそ本線ではないか?」ということです。大学で受けた講義を思い出すと、教授のどんどん脱線(というより派生)していく話の中に、一直線に目的に向かうような話では決して聞くことのできなかったであろう真理が含まれていることが毎回のようにありました。

 

自分の思い描いていた通りの、夢や目標に向かう一直線の道など実は存在しておらず、すべては「脱線」が「本線」になっていくのではないかとすら思えてきます。

もちろん、思い通りにならないことに歯がゆかったり、満たされない思いを抱えることは誰もにあると思いますが、「脱線」しても何度でも軌道修正すればいいのですし、脱線したからこそ、自分がやりたかったことに戻った時、脱線した時の経験が大いに活きることもあるのではないかと思います。「脱線」は「本線」の敵ではなく、実はお互いに補い合うものなのではないでしょうか。

 

私も、今は自分の好きなことを仕事に出来ているわけではありませんが、こういう時期があってもいいのかなと思っています。皆さんの中にももし同じ境遇の方がいらっしゃったら、脱線を直ちに「×(バツ)」とするより、脱線することの豊かさをお互いに感じられたらいいなと思います。