【今が辛い・抜け出したいという方へ】「世界は優しい」ということを認める少しの勇気

その人の現実はその人が作っている

みなさん、いかがお過ごしですか? 私は引っ越しと家業の手伝い、そして就活の3つに追われています……。精神的に余裕のない日々を送っていますが、今日の朝ふとタイトルに書いたことが思い浮かんだので、皆さんにシェアしたいと思います🙂

みなさんは今までに、「社会は甘くない」、「社会に出たらそれじゃ通用しないよ」という言葉をかけられたことはありますか? 私自身は、学校の先生や家族がよくこのようなことを私に伝えてきました。そうして私にとって、「社会とは厳しいものなんだ」、「社会とは今の自分を受け入れてくれない場所なんだ」という認識が出来上がっていきました。

私が最近思うことに1つに、「その人の世界はその人が作っている」ということがあります。どういうことかというと、「その人にとっての<現実>は、その人の認識の仕方によって生成されている」ということです。
例えば、ある人がお金について「苦労しないと稼げないもの」と考えていれば、その人はそれに当てはまらない事例をキャッチすることはできません。つまり、たとえ苦労せずにお金が入ってくる機会があったとしても、その人が「お金は苦労しなければ得られない」と考えている限り、その認識に反する事例は「なかったこと」として見過ごされてしまうということです

私は高校の生物の授業で「ホルモン」について習ったとき、「種々のホルモンには、それぞれを受容する<受容体>がある」と知りました。上に書いたことは、この「ホルモンと受容体」の話と同じことだと思います。つまり、せっかくホルモン(ある出来事)が作られたとしても、それを受け取る受容体(その出来事を認識できる状態)がなければ、生成されたホルモンも「なかったこと」と同じになってしまうのです

「世界は私に優しい」と認める少しの勇気

私自身、これまで「社会に出たらそれじゃ通用しないよ」、「社会は甘くない」という言説を多く聞かされてきたので、今でもそこから抜け出せていない部分があります。しかし、必ずしも「社会」ではなくとも、「<世界>は優しい」ということを感じる機会も成長するにしたがって出てくるようになりました。それは例えば、私が幼少期からの夢だったフランス・パリ留学を実現させようとしていた時、私をサポートするような出来事や出会いがありました(家族からの理解と協力が思いがけず得られたり、エージェントで担当してくださった方との相性が良かったりなど)。

確かに、一定の成果や肩書が求められ、生産活動が絶えずなされている「社会」はいつも優しいわけではないかもしれませんが、もっと広い「世界」は、みなさんが自分の望む方向に向かおうとすれば、必ずサポートしてくれます。

そのような意味で、「世界」は私たちに優しいのです。今が辛い状況だとしても、世界はいつでも、それぞれが自分の望む方向に歩き始めた時にサポートする用意ができていると思います。

今日はなんだか抽象的な話になってしまいましたが、最近私が感じていることを書きました。
「社会に適応するために自分を変える」ことよりも先に私たちがするべきことは、「世界は私に優しい」ということを認めることなのではないかと思います。「世界が私に優しいはずない! 現実は厳しいんだ」と思うことももちろん選べますが、冒頭に書いた通り、その場合はその通りの現実が現れていくと思います。

もちろん、私たちそれぞれが、自分の好きな認識の仕方を選ぶことができます。でも、もしみなさんが何か叶えたい望みを持っていて「でもうまくいくはずない。現実は厳しいのだから」と苦しんでいたら、「実は世界は優しい、いつでも私をサポートする用意をして待っている」ということを思い出してほしいな、と思います。「世界は優しい」ということを認め始めた時から、実際に私たちの世界は優しい現実を連れてくると思います😉