【自分につい厳しくしてしまう方へ】自分を大切にするためには、自分を「他人」として扱ってみる

自分を癒すことを他の人に委ねたとき

みなさん、いかがお過ごしですか? 記事を書くのは久しぶりな気がしますが、実は家業の本屋が繁忙期をむかえ、その手伝いで忙しい数週間を送っていました。

そのようにスケジュールが忙しくなると、自分を大切にする時間(私にとっては日記を書いて考え事を整理したり、なにも考えずに好きなことをしたりなど)を取ることを忘れてしまいがちになります。この数週間もそのような時期で、知らず知らずのうちに自分に厳しくなり、自分の行動を「あの人だったらもっと寛大な対応ができたのだろうな……」と頭の中で誰かと比べて落ち込むことが多くありました。

みなさんは、自分に厳しくすることが増えてくると、だんだんそれがエスカレートすることって、ありませんか? 自分にどんどん厳しくしていけば、そして私の心が限界になれば、誰かがそのSOSに気づいて優しくしてくれる……。この数週間の私は、自分で自分を癒すことを放棄して、「とにかく誰かに優しくしてほしい、私の代わりに癒してほしい」とひたすら願っていたように思います。自分の心を無視し続けると、次第に「自分を認めてあげない」ということに関して意地になり、その結果、心が悲鳴を上げる先は自分ではなく「きっと優しくしてくれる誰か」に向かっていたのだと思います。

しかし、実際は周囲の人が自ら私の精神的な限界に気づいて、進んでケアをしてくれるということはほぼありませんでした。「そばにいるのに気づいてくれない」家族に心の中で勝手に怒り、激しく八つ当たり(そして自己嫌悪)したこともあります。

これは、自分の心の安定や幸せを他の人に委ねてしまったからなのだなと後から気が付きました。自分がコントロールできるのは自分だけだからこそ、自分の心を満足させるのは他人ではなく、自分でするものなのだなと痛感しました😅

自分自身こそ、誰よりもまず大切にするべき存在

そして、「どうしたら自分を大切にできるか」ということについても、1つのアイデアが浮かびました。それは、「自分を他人として扱う」ということです。

これは言い換えれば、「自分の中に、自分を無条件に認めてくれる誰かをイメージする」ということでもあります。例えば、なにがあっても否定せず、またなにかするたびに「えらい!」とほめてくれる親友のような存在が心の中に住んでいることをイメージします。
私たちは扱う対象が自分だと、接し方が雑になることが多いと感じます。しかし、心に上記のような「親友」をイメージするとき、自分自身はその存在にとって「他者」になります。つまり、心に自分以外の存在を置くことによって、自分を一種の「他人」として扱うことが可能になるのです。

これをやってみて思ったのは、自分を他人として扱うようになると、自分に優しくなることが格段に簡単になるということでした。
私たちが社会から受け取る暗黙のメッセージの中に、「自分よりも他人を優先しなさい」というものがあります。それは、「自分のことは差し置いて、誰かのために尽くすことが美しい」というような価値観です。こうした社会的な影響もあって、私たちは「自分に優しくする」ということに抵抗を感じることが多いのではないかと思います。

そこで、自分も一種の「他人」として扱うことで、自分に優しくすることへの抵抗が一気に低くなるのです。今までは、家族の家事を手伝ったり、なにかを頑張ったりしても「そんな小さなことじゃ、褒めるに値しない」と自分に対してやたらと厳しくしていました。しかし、自分の中に自分以外の存在を思い描き、その立場から自分を見ると、小さなことでも客観的に評価してあげられるようになりました(これまでは極端に厳しい視点から自分を評価していました)。

逆説的に思われるかもしれませんが、もしこれを読んでくださっているみなさんの中に「自分に優しくしたいけれどなかなかできない」という方がいらっしゃったら、ぜひこの方法を一度試してみてください。
私たちは、周囲の他の人に接するとき、極端に厳しくするということはほぼないのではないかと思います。なるべくいい接し方をしよう、という心がけも少なからずあるのではないかと思います。でも忘れてはいけないのは自分自身こそ、誰よりもまず大切にするべき存在です。書きながら今思い出したのですが、私が最近目にした言葉に「自分以上に好きな人を作らない」というものがありました。
「自分を差し置いて誰かのために」よりも、「『誰かのために』の前に、まず自分を満たす」。どんなことだって、自分を置き去りにして始まることはないと思います。自分のことは「VIP」対応、「プリンセス」対応でいきましょう😉 みなさんがご自身を大切にされるきっかけを、この記事でお示しできていたらいいなと思います。