他人に嫌われることを自分に許す

Eduardo VieiraによるPixabayからの画像

 

みなさん、いかがお過ごしですか? あまりにマイペースな記事の更新ですみません😅

 

私は、この春新卒として入社してから2か月が経ちました。会社の上司や同期の方は驚くほど親切な方ばかりなのですが、私は人の顔色や場の雰囲気を過剰に気にして、ぎこちない振る舞いになってしまうことがよくあります。

 

最近「私はなぜこんなに人の顔色を窺ってしまうのだろう」と考えていた時に気が付いたのは、「『一人残らず誰からも好かれないとダメ』と自分自身に命じていたのではないか?」ということでした。

 

もちろん、人間がコミュニティに生きる存在である以上、他人に嫌われることを恐れるのはある程度当然のことです。しかし一方で、「文字通り『全員』から嫌われない」ということが不可能なことも事実です。もっと言えば、どんなに頑張っても、絶対に嫌う人も必ず一定数存在します。

 

自覚していませんでしたが、これまで私が頑張っていたのは、「私を嫌いになる人を一人も出さない」ということでした。だから、なにをするにも「これは他の人にどう思われるかな」ということばかり考え、空気を読みすぎて結局変なタイミングで発言してしまうなど、空回りしていました。そして、後で空回りした自分のことを思い返して恥ずかしくなり、ますます人の前で臆病になる、ということの繰り返し……。

 

「『誰からも嫌われてはダメ』と自分自身に命じていた」ということに気が付いた時、私は「もう誰かに嫌われてもいいよ」と自分自身に声をかけてみました

そうして嫌われることを自分に許してあげた瞬間、体からどっと力が抜けて、「あ、嫌われてもいいんだ! もう嫌われることを心配せずに振る舞っていいんだ」と解放されたような気持ちになりました。次に出社するときは、もう好きなタイミングで笑って、好きなタイミングに話に加わっているだろうと思います。

 

私が「誰からも好かれる」ことと引き換えに失っていたのは、「自分から好かれる」ということでした。行動の基準が、自分自身の気持ちではなく、他人の機嫌だったのだから、それも当然です。

どんなに頑張っても、絶対的なものにはできない他人からの印象よりも、自分自身という、私にとって絶対的な存在に好かれることの方が、ずっと意義があると思うのは私だけでしょうか? 「他人に嫌われることを自分に許す」ということは、自分自身に好かれることのはじまりでもあるのだと思います。